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【砲弾、放談「ファイナル アゲイン」】   



各国識者、ってほどじゃないけど、カリスマやマエストロから、それぞれの所感がポロポロ聞こえる。
あるいは、試合後の選手たちからも。

それはまるで、時に言葉が砲弾のように何者かを撃墜するかのようにも映る。
幾つか、まず列挙だ。

オランダ敗軍の将、ファンマルヴァイク。
①「たとえ美しいサッカーでなくても、本当にこの試合に勝ちたかった」
②「審判が試合をうまくコントロールしたとは思えない」

一敗地に塗れたオランダのエース、10番、スナイデル、誤審を指して。
①「CKだったのは明らか。スポーツの恥だ」
②「主審に試合をめちゃくちゃにされた」

チラベルト、いや間違えた、調べると、「一敗地にまみれる」というのは、
「二度と立ち上がれないほど徹底的に打ちのめされる」という意味らしいけど、
勿論オランダもスナイデルも立ち上がってくるだろうけれど、
「完膚なきまでに打ち負かされる」という意味を汲んで、
虚勢を張るスナイデルへの皮肉を込めてそう表現しておくこと、許されたし。

そしてクライフ。
「決勝は、美しいプレーを消すことが唯一の対抗手段と考えるチームと、優勝候補との一戦となってしまった。
オランダのスタイルは醜く低俗だった。
スペインを動揺させるために、スペースを完全につぶして厳しい当たりを見せただけで、
これといった見どころのない内容に終始した。
スペインは最初の20分間は素晴らしかったものの、相手の汚いプレーがあまりにも多かったために、
自分たちのサッカーをさせてもらえなかった。
この状況が続いたことにより、試合終盤までスコアが動かなかった」

「スペインの勝利は妥当であるし、勝利にふさわしい方がW杯を制覇した。
バルセロナのスタイルがタイトルをもたらした」

「オランダは、複数の選手が退場処分を受けてもおかしくなかったし、勇気を持ったジャッジが必要だ」


続いて、日本にとっては今、ネコも杓子も的に参拝待ちのようなオシムのメッセージ。
「スペインはいままで通りパスサッカーをしようとした。
 これに対しオランダはゲームを壊すことで主導権を握ろうとした。
 敢えて戦術的ファウルを繰り返してボ-ル保持者を物理的に潰すことでスペインのリズムを寸断した。
 乱戦に持ち込む手法は美しくないしオランダらしくないが、現実的手段の1つではある。
 実力が上の相手を倒すための可能性を追求したという点では、その戦いぶりを批判はしない
 ただゲームを壊す戦術で勝つのは王者として相応しいことではない」

スペインには祝辞を述べつつも物足りないと、
「スペインは決勝でも自分本位なドリブルやシュートが目立った。
 チームとして機能しない個人技はただのエゴイズム」だと評するオシム。

オシムのメッセージはこの他にも、
日本代表の目指すべき方向性についてサンプルを挙げながら示してくれているが、
それはまぁ、次の機会に譲るとして。

1つは、「ネコも杓子も」ったのは、とりわけ日本のメディア体質では、
オシムの珠玉の金言至言と全てを鵜呑みに肯定しちゃう風潮が、
「ここ掘れワンワン」とばかりに、ネコも杓子も群がって有り難きお言葉待ちの信奉者が列なして、
みたいのは違うだろ?、って意味であり。

考えて走れ、というオシムの言葉の通りで、
オシムのメッセージは確かに含蓄あって深くて重みあるけど、
それ聞くだけじゃ、所詮は指示待ち、まずは自分のアタマと感性とで、
考えて語れ、ということなんだろうと思うワケだ。

当たっても、外れても、意見が異なっても批判を浴びても、
語って論じることは肥やしになるし、大会を通しで見て感じて思ったことは、血肉になるハズ。

ということで、これらのマエストロの言葉を借りつつ、我が評を読み直してみるワケだ。

『オランダも、ドイツの戦い方を見ての反省もあろうか、
何とか出足で受け止めようと意識する。
待って構えて、受けてしのいで、ではドイツの二の舞だと、言わんばかり。
前でカットして、あわよくば反転攻勢を狙おうという気構え。』
と評した部分、都合よく解釈させてもらえばそれは、オシムの、
「実力が上の相手を倒すための可能性を追求する現実的手段の1つではある」という部分に、共通項を見出させてもらいたい。

結局、この姿勢はオシムの言う「ゲームを壊す、物理的にボール保持者を潰す」という、
クライフの言うところの、「醜く低俗な戦い方」に帰着するのだが、
我がブログで「ドイツの戦い方を見て」とあげつらったのは、すなわち「学習効果」という意味であり、
(まぁ実は、その学習の結果の姿勢が今度は(オランダこそ反面教師』と糾弾されるワケだが 笑)
ドイツのように受けて構えてしのいでこらえるだけでは、永遠にスペインのパスは繋がっちゃう、
であれば前への圧力をかけるしかなく、それはすなわちファウルを辞さぬ横暴さを含んだ、
『現実的』な結論だったという位置付けなのだろう。

しかし時間が経過するにつれ、メモにもあるように、そしてブログにあるように、
『闘志、のつもりなのだろうが、ボメルは2度目の荒々しさ。
ファウル覚悟の強い当たりで相手を臆させることまでが戦術・戦略とは、正直思いたくないのだが・・・』
という流れに至るワケである。
クライフの言う、「余りに汚いプレイが多く」ということと、
「何人かの選手は退場でもおかしくない」ということも、その言わんとするところだ。

クライフの言う「ジャッジ」への注文は、その通りだと思うのだが、
我が評でもどこか遠慮がちに論じているように見える(聞こえる)のは、

「決勝という最も大きな舞台をジャッジで壊してはならない」という、それはむしろ純然たるフットボールへの想い故、だろう。
だからこそ余計に、今となっては、その「審判の弱み」すら見抜いた上でのファウル作戦であるならば、
罪悪的フットボールとして断罪されるのは、オランダの戦術であり戦略だろう。

誰だって勝ちたい、美しくなくとも構わない、その切実さは分かるけれども、
スアレスのハンドによる批判と何ら変わらないし、
本意ならばより以上に悪質だ。
クライフは、それに激怒しているのだろう。
オシムは、厳しいけど、そういうとこ優しいから(笑)

『5分、セスク1対1、ダイレクトでも止めてからでも、ビジャに流せたプレイ。
自分で決めたい、自分が決めたい、という欲が出たか?』
ここなんぞ、オシムの言う「エゴイズム、自分本位」という部分の例示の最たる場面だったのだろう。
チームとして機能しない個人技はただのエゴ、うん、オシムの価値観の典型なのだろう。

「バルセロナのスタイルがタイトルをもたらした」というのはクライフだが、
ワンタッチ、すなわち『ダイレクトパス』による崩すための変化や、
『ボールの置きどころ』としてのファーストタッチを説いたのは、
サッカーがどんなに進歩しようとも、変わらぬ普遍の真理なのだろう。

一方で、
『0-0、スコアレス。
延長戦。
サッカーの未来は?、方向性は?
攻撃サッカーの矜持のぶつかり合いは?』
という部分は、戦前から、恐れ多くもクライフを皮肉って(笑)、
この至高のパスサッカー対戦で0-0スコアレスだったら??、と揶揄したが、
(その念頭には、94年のイタリア0-0ブラジルや、CLイタリアダービー、ミラン0-0ユーベがあったワケだが)
クライフも、スペインは最初の20分は見事だったが汚いファウルにより0-0の状況が終盤まで続くことになったと論評し、
オシムも、「物足りなかった」という表現で、寸断分断されたスペインのサッカーを評している。

まぁこれは、フットボールとして、あるいはフットボーラーの心理として、
仕方のないことなのかもしれないが・・・
これもまた、4年に1度しか訪れないチャンスだからという、W杯でこそのメンタルであり、
CLよりもW杯が面白いという根拠が同時に、決勝という舞台での反作用なども大きく振れ、
「つまらない」ようになってしまう要因でもあるのは、大きな矛盾であり皮肉だろう。

けどしかしね、醜く1-0で勝つくらいなら4-5で美しく散れ、
とクライフが声高に唱えたところで、スペインのパス回しの尋常でない完成度からすると、
結局、0-1が4-5と1点差で済むワケはなく、
0-5で、それこそ一敗地に塗れるような敗北を受け入れることになりかねないワケよね、多分。
だからオシムも、現実的選択肢だと、よりそう言っているのではないかなって。

実際、クライフだってCLのファイナルで、コキ下ろすだけ見下したミランに、
ジェニオ・サビーの運のいいループなんかもあったけど、
0-4でボロボロに叩きのめされた屈辱が、あるワケでね。

まぁそれでも信念が変わらないのはクライフの凄いとこだよ。

そういう意味じゃ、チリが撃ち合って散ったよね、一番。
ブラジルは情けなかったし、ドイツはビビっちゃって意気地が足りなかった。
パラグアイやスイスは逃げ腰弱腰の勝負根性だったし、
(でもパラグアイは出来は良かったけどね)
オランダは卑劣卑怯極まりない戦い方だった、結果が伴わなかった以上、ね。

そういう意味に於いて、ファンマルヴァイクの、まぁ①「たとえ美しいサッカーでなくても、本当にこの試合に勝ちたかった」は理解できるけど、
②の「審判が試合をうまくコントロールしたとは思えない」は、
試合を壊したのも殺そうとしたのも、もっともっとお前たちだろ、ってことだろうし(笑)、
スナイデルに至っては、①「CKだったのは明らか。スポーツの恥だ」という発言、
気持ちは分かるし、あれは確かにCKだし、アレ見落とすのは審判としても節穴だけど、
相手を傷つけても勝てばいい、というほどのタックル見舞った側の言葉じゃないよね、
と言い返されるのがオチだよ。
スナイデル自身はフェアに頑張ったとしてもね。
人間として恥、と言われかねない。

同様に、②の「主審に試合をめちゃくちゃにされた」ということも、
決勝という極上の舞台を、至極のパスサッカーのぶつかり合いと決着を、
主審よりもアンタらがめちゃくちゃにしたんやん?、となるだろう。

ま、至極の対決なんざそっちの勝手な妄想と思い込みで、オレたちゃ勝つためにやってんだよ、
と言われりゃ、それも決して間違いだとは言い切れないのが、
勝負、という意味の、勝負という世界に生きるフットボーラーの、生き様だけどもさ。

しかしまぁ、面白いのはやっぱり、
圧倒的なパスの本数を数えたスペイン、ポゼッションで負けた試合などないスペインが、
史上最小得点での優勝ということが、数字の上だけの話としても、
サッカーの難しさ、不可思議さ、面白さ、奥深さ、それを教えてくれているんではないだろうか。

それだけパス回せても、ゴールはセットプレイからとか、結果としてカウンターの形でとか、
そういうのも、ままあるし。

サッカーの未来、方向性は、どのように示されたのか?

戦った者にしか分からない、景色は頂に登れた者しか見られない、
ということだとは思うが、
苦行のような忍耐を自らに強いて戦ったことが本質であり本望であるのか、
あるいは、
やはりサッカーは、選手自身が楽しめる魅了あるフットボールこそが存在価値であり意義なのだと、
また新しい4年のサイクルを、悔しさや雪辱を胸に、あるいは更なる向上や誇りを抱き、
今日もまた、世界中のどこかで、
いや、世界中のあちこち、いたるところで、
サッカー馬鹿たちがボールを蹴っては走り、走っては蹴っているのだ。

サッカー万歳!
ビバ♪

願わくば、僕自身も、どうか読み応えのある書き物を1日でも1篇でも多く書けるよう、
語り論じられるよう、、、

by wearecrazy | 2010-07-14 13:58 | 【W杯雑談編】

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